吐露んべ。

とあるオタクの雑記帳(スクラップ)

なんのためにこの文章を書いているのか、書いてる今はわからない。

きっと書き終えた後にもわからないであろうし、書いたことすら後悔するのだろう。

ただ、これを書いている間は、少し頭が冷える。

それだけは事実で、要するにそれだけの事だと思う。

 

 

 

恋人が他界してから、満4年が経った。

親友として、或いは姉として、心から尊敬し、俺の人生を少なからず豊かにしてくれた最良の人だった。それを「恋人」としてしか表現できないのは我ながら遺憾に思う。

彼女と知り合ったのは2011年の事だったから、そこから10年以上経過していることになる。

この4年間は、喪失感とも無力感とも罪悪感とも、それらが綯い交ぜになったような、いまの自分に考えられる中で最大の苦痛を、これまでの幸福に対する報復のように自嘲しながら、時にそれを誤魔化しながら、漫然と、本当に毎日を棄てるように過ごしてきた。

彼女のいない世界はなんとも甲斐がなく、未だにどこか色味のない、突き詰めればどうでもいいように感じて、未だ地に足をつけられずにいる。

 

そのことを後悔していながら、しかし彼女を恨んではいないし、この苦しみに、堪えかねてなお忘れたいとは思わない。

本当は誰かと分かち合うことなどしたくない、誰にわかってもらうつもりもなかったはずだが、なんの因果かこんなとりとめのない駄文を書き連ねて、自らの弱みを白日のもとに晒そうとしている。

 

ひとつは、隠し続けることに疲弊と逼塞を覚えたからか。

このことを、今までほとんど誰にも語ったことがない。

向こうのご家族に止められていたから、という事が一番大きい。

ただ、それを抜きで言えば、いまや付き合いの長いフォロワーの方が多いが、それでも所詮はインターネットの温い連帯でこそ培われてきた仲なので、誰にどう言えばいいのか、皆目見当もつかないしそういう余裕もなかったからだ。

共通の知人であったり、当時、信頼していた何人かには、なんとか最低限DMで連絡したものの、それでも裏切られたような心ない返事に打ちひしがれる事もあったから、尚のことだった。

この期に及んで、他人を信頼して話すことより弱みを握らせる事への猜疑心を選び続けたことが、或いは自分の器の小ささをかえって浮き彫りにしたのかもしれない。

 

さらにひとつは、このことに言及したとして、それで自分が何を得たいのか、自分自身いまもわかっていないからだ。

この悲しみを、今さら誰と分かち合うつもりもなく、中途半端な慰みの言葉など送られようものなら、それが善意であれ、怒りを抑えられる自信が今ひとつない。

思索を文字に起こすこと自体は主治医の指示ではあるものの、この上、内向きに言葉を紡ぐことなど、自縄自縛の呪いをさらに強めるだけであるとわかるから、無理にでも外に出すしかないのであるが……。

 

 

別段、俺以外の読み手が、この文章から俺の感情を読み取る必要はない。

ただ、俺と彼女を知る人たちの中で、今までなにも説明してこなかった不義理だけは、ここに詫びておく。

Heaven's Feel III. spring song 気づいた点など纏め

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Heaven's Feel III. spring song しかと見届けました。

引きずるものがなく、余韻というよりは読後感の残る映画でした。

しみじみと良かった……。

 

ひとまず完走を祝して制作陣には感謝の想いを。

 

www.fate-sn.com

 

総評としては、三部作を通して「Heaven's Feelの映像化」というよりも「桜ルートの映像化」であると感じました。

原作イリヤルートないし言峰ルートとしての側面も色濃くある中で「間桐桜」に焦点を絞って換骨奪胎した、まさしく桜のための映画であると言えます。(テーマごと一新するような、いわゆる令和アレンジではない)

 

以下は印象的かつ細かめの描写の箇条書き。記憶が損なわれないうちのメモ代わり。

大テーマや士郎、桜、凛、イリヤ、言峰に関しては別途まとめる予定。

 

 

・セイバーオルタ

士郎への未練といった感情の残滓をほとんど見せることなく、終始、桜のサーヴァントに徹している印象でした。取り立てて最期に救いが待つでもなく、いい意味で今回は脇役。寂しくもある一方、原作以上に覚悟完了した元マスターへの彼女なりの誠意かもしれないな……などと思いつつ。戦闘シーンは魔眼のデバフを受けているとはいえ、圧巻のひと言。

 

・Q.「遠坂は?」→A.「庭に埋めてきた」

序盤。ヘドロばくだんで魔力を消耗した遠坂の容態について尋ねるシーン。

これは実際そのままの意味で、遠坂家が冬木の霊脈として優れた地であり、もともと吸血鬼のねぐらであった事もありそうした方が回復が早いという合理的な判断から。

しかしそうした説明はこの先なんの関係もないので当然カット。事情を知らない視聴者には「オッサンの不謹慎ジョーク」みたいに映ってしまいました。というか士郎も顔をしかめるだけで特にツッコまなかったのでそう思ってる事でしょう。

 

・言峰、動く

原作では攻略対象かと思うくらい絡んでいたにもかかわらず、制作上の判断から出番を削りに削られ、三本目を撮る頃には麻婆食ってる間にサーヴァントが全滅した言峰。

それでも事実上のラスボスとして君臨すべく、急ぎオープニングから表舞台に出る決意を固めます。

HFにおける出番のほぼすべてが集約されている事もあって、彼の破綻者ぶりを象徴する妻・クラウディアのエピソードは念入りの描写。細かい点を言えばSN時点のモノローグで自身の子を認知するのは初めてな気がする。Ha映像化お待ちしています。

 

・是・射殺す百頭(ナインライブズ・ブレイドワークス)

これを観に来たといっても過言ではないシーン。

満を持して流れる梶浦版の「EMIYA」にただ涙。多くを語る必要はないでしょう。

ひとつ挙げると、投影を通じてヘラクレスの憑依経験を丁寧に描写しているのが好感触。かませ犬ではなく乗り越えるべき壁としての役割も大英雄の格ならでは。

 

・始まりの御三家と魔術絡み

断片的に語られるのみだった、冬木の儀式が描かれた画期的な場面。手を引いて舟を降りるなど、FGO1部4章を経てさらに補強された臓硯→ユスティーツァへの激重感情は健在。

そしていまや「カレスコおじさん」として正体不明のまま需要だけが一方的に高まるゼルレッチ爺も初アニメ化。終盤にはNew士郎ボディを二束三文で卸しに来た橙子さんの後ろ姿が映るなど、型月世界における二大ビッグゲストの登場は型月ファン垂涎の一幕となりました。

ただしそうした魔術世界の詳しい背景はやはり不純物なのでほぼ説明せず。ゼルレッチはともかく、士郎の身体に関しては「魂の物質化→橙子の義体に定着」の過程が初見だとかなり気持ち悪い感じに映ってやしないかと不安なところでもあります。

 

・ライダー

第三章のMVPサーヴァント。テーマ的にもHFは反英雄の活躍が著しいなとあらためて。公開と同時期にFGOで星5として排出されたら狂っていたであろうマスターも多い事でしょう。やれやれ、なんとか致命傷で済んだぜ・・・

戦闘中、素顔のカットはかなり近年の武内絵っぽいなと感心。得意げに「士郎が気になりますか?」と煽るところなんかはそれらしさが全開。

Fateルートで敗れた聖剣に打ち勝つのは英雄譚へのアンチテーゼっぽくて好きな描写でしたが、アイアスの盾で減衰しながらというのは、改めて見るとギリシア神話の面目躍如。アトランティスポイント+300000000000点。

 

・臓硯の最期

「HFはよかった。特にラストシーンで臓硯が親を立てながら溶鉱炉に沈んでいくシーンはしには見られなかった」

個人的に型月で一番好きかもしれないのがこの間桐臓硯という人物。とりわけ今回のグランドフィナーレを迎えるにあたって、最も本質的な「生きていたい」という願いを一番シンプルに体現していた人でした。

パンフレットに曰く「マキリの理想は届かず夢のままに潰えるように」というきのこディレクションがアーチャーを否定した衛宮士郎に通じる意味でも、HF全体のテーマを咀嚼する上では最重要人物とさえ言えるかもしれません。

ところで、臓硯の本体を引き抜くにあたって自分の胸をまさぐる黒桜の表情が淫靡に火照っていて最高でした。アサシンは不憫。

 

・「鍵」

staynightの締めとして本作に託されたテーマは「非日常から日常への回帰」であり、それを司る、帰るべき場所の象徴こそ桜の鍵でした。

劇場版でも文字通りのキーアイテムとしてかなり強調されていたように感じます。この鍵の暗示は「空の境界 矛盾螺旋」でも臙条巴の拠り所として機能しており、奈須きのこの作家性が垣間見える瞬間といえるでしょう。また、アニメーション作品としてもufotable制作の後発として、アーチャーを追い抜く士郎にSprinterの場面を思い起こさずにはいられませんでした。

おれはゴジラ キング・オブ・モンスターズをみた(逆噴射模倣)

よくきたな。おれはトロンべの人だ。おれは毎日すごい量のテキストを書いているが、だれにも読ませる気はない。しかし今回ついにMEXICOにも真の男が上りくし、予断をゆるせない状況に落ちいった。ゴジラだ。KING OF MONSTER・・・すなわち男の中の男を前にいてもたってもいられなくなり、とり急ぎこの記事を書くことにした次第だ。

 

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GODZILLAがやってきた

2014年に文明国カリフォルニアを蹂躙したゴジラは、メキシコに衝撃をもたらした。それまでのハリウッド・ゴジラといえば、マリオに乗り捨ててももらい得ないような、みどりのFAKE野郎だったからだ。監督したギャレス・エドワーズはかなりのゴジラ・マニアで「Sエッフをやめてリアリティを追及する!」とかゆって、最新CGのなんかを駆使しなGら、極めてシリアスにゴジラを描いた。

だが正直ゆって、おれはギャレスの「GODZILLA」がすきではなかった。理由はかんたんで、MEXICOにきてわざわざスシを頼むあほはいないからだ。おれはハリウッドらしからずメッセージ性ばかりつよい腰抜けCG映画に機嫌を損ね、ただちに劇場を跡にした。そしてやけになり、最寄りのバーでテキーラをショットで決め、手近なベイブを抱きあたたかなベッドに包まれ・・・泣いた。

だからおれは「キング・オブ・モンスターズ」のことも腰抜け怪獣映画だと見くびっていた。そして何の用いもないままゴジラのやギドラのねつ線を浴びるほど浴び・・・・・死んだ。そして真の男になった。


ゴジラはいる

「キング・オブ・モンスターズ」は真の男のための映画だ。理由は完全にシンプルで、それは上映時間のすべてが、徹底的にゴジラがキング・オブ・モンスター(バンデラスだ)であることに傾けられた神話だからだ。そこにはリアリティT・V・プログラムやポリテカリー全方向配慮などのしゃらくさいものは何もない。おまえの皿にはただ、血の滴るようなTボーンだけがある。

映画が始まるとすぐに画面の8割くらいが怪獣に埋め尽くされ、常にばくはつで揺れ続ける。さらに下腹にまで響くような音響によって、その場にいないはずのおまえ自身も揺れ続けることになる。これはたとえ手元のコロナが吹きこぼれたとしても止まることはない。

これがどうゆう事を意味するかといえば、ゴジラがFAKEではないR・E・A・L・の存在であることを端的にあらわしている。エンドクレジットには“Godzilla:Himself“と書いてあったので、少なくともやつが本当にMEXICOに上陸していたじじつが確かめられている。この圧倒的な真実の前に、おまえが出来ることはなにもない。ただ2時間半もの間怪獣たちのルチャを震えながら、あるいはドリトスを摘まみながら観戦するのみだ。


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見渡すかぎりの怪獣とばく発のショックでパニックしたおまえは、ひそかに持ち込んだアルパカワインで口を湿らせながら、やがてヒューマンドラマの中に、整合せいとかの既存の常しきを見出そうとする。こまかな設定のあやを突いては、「ゴジラもニンジャもいない!すべて政府のいうとおりだ!」などと上映中に喚き、やはり後ろの座席にいたトレホにナイフを投げられ映画より先に人生の幕を閉じる。

だがそうやって逃れようとすればするほど、怪獣が現実にせまっていることを知る。なぜなら主要キャラクターたちはほぼ須らく怪獣を半神的存在だと信ぽうしていて、実際画面いっぱいのゴジラキングギドララドンの野郎はタルサトゥームだ)の圧倒的な迫力といったものが裏付けとなり、お前を打ち据えるからだ。うらなり野郎は死に、生き残ったおまえも失禁を堪えながら「ゴジラ・・・ソイヤ・・・・・!」と呻くばかりになる。


世界はこの後どうなってしまうのか? おそらくは一度、END OF MEXICOを向かえただろうことは想像にかたくない。しかし、神話はつねに破壊の後に創造があるとゆうことを物語っている。事実「デスペラード」ではバンデラスが凶弾にたおれたが、その後よみがえった。この作品でゴジラは画面を通じ、おまえの中にいる腰抜け(たとえば常識といったもの)を完全に破壊するだろう。そうなったとき、ゴジラは真の神となり・・・・・・おまえは真の男に生まれ変わる。


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Heaven's Feel 第二章雑感(ネタバレ)

※ネタバレ注意(未見の方はバック推奨)

 

 

 

 

 

「劇場版Fate/stay night Heaven's Feel Ⅱ.lost butterfly」を鑑賞しました。

結論から言うと、完璧なHFでした。Fateエロゲー!(大声)

以下に雑感。思い出し次第、追記します

www.fate-sn.com

 

 

士郎の人間味

まず、士郎視点でのHeaven's Feelは英霊幻想へのアンチテーゼ。より端的に言うと、衛宮士郎が人間になる物語だと個人的には考えています。今回の第二章では、そのベースが概ね完成したように思います。如実なところでは過去のUBWで「壊れたロボット」の側面が強調され歪ですらあった士郎の表情が、本作ではこれまでにないくらい人間味を増していたり。


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↑これがデフォルト

 

士郎のデフォルトは「功利主義的な正義感の下で自分の身はもちろん、場合によっては親しい人物すら顧みない破綻者」なのですが、間桐における桜の来歴を知ったことや一緒に過ごした期間の長さを踏まえて、わりと早い段階から根本の信念に揺らぎが生じます。(いわゆる「レイン」の場面)

ただしここで「桜だけの正義の味方になる」と決めるより以前、すなわち第一章で士郎が見ていたのは彼の知る桜でしかなく、本作では見落とされていた桜の本質的ないし致命的な部分が徐々に暴かれていきます。

 

いちばん驚いた場面は士郎が他者の犠牲を踏まえてなお、これまでの信仰と決別することを選び、ついに「涙を流した」場面です。本来は当たり前のはずの感情ですが、これまでの彼は個人としての喜怒哀楽が著しく欠落ないしは取り繕ったもので、まして泣くなんてことは他ルートを通じても一切ありませんでした。単純なことながら凄まじいシーンです。

 

桜に「先輩はなにも裏切らない人ですから」と言わせてから「ああ、裏切るとも」は卑怯。次の朝、桜の部屋を訪ねた時の「桜、おはよう」は若干震え声になっていて声優の技を感じました。

 

まったくの余談ですが、学生時代に走り高跳びをやらなかったことを改めて深く悔いております。

 

いろいろ剥き出しになる桜

ヤ り お っ た (二重の意味で)

時は西暦2019年。ヘブンズフィール映像化……PC版! 度肝を抜かれました。

誤解のないように言っておくと他のルートとは異なり、HFにおけるベッドシーンというかセクシャルな描写には明確に意味があります。間桐桜の人格形成に大きな影を落としている部分で、彼女の本質と変化、そして士郎の変化を描くうえで必要不可欠なところでもあります。今回で言えばそのシーンがなければ絶対に、桜が凛のことを「姉さん」と呼べるだけの心の余裕は生まれませんでしたし。とはいえ既にレアルタ・ヌア(全年齢版)があり、またシリーズ全体が一般に膾炙していく中、まさかこうも直接的にやるとは思っていなかったので……すごい。Fateエロゲー

 

そんな具合で第二章は間桐桜間桐桜たる部分が100%濃縮されてました。さくら100%。たとえば……日々の凌辱、抑圧から内面に黒々とした鬱積、怨恨、呪詛が溜まっていく桜。そんな彼女の心を解きほぐしていったのが士郎の、優しさというにはあまりに歪な意固地さでした。特に映像化にあたっては、「大事なもの」を渡されるシーンが決定的だったことが目にハイライトが灯ることで示されています。今作は桜に限らずけっこう瞳の色合いは要点だと思いますね。そんな桜自身も頑なさでいえば負けず劣らずで、凛ですら曲げられない士郎を二度も曲げさせています。こういう似た者同士なところが士桜の魅力ですね。(早口)

 

……などと、ほんの触りを書いただけでこの文量。まして今回は桜の変化がほぼ全編に渡ってしまうのでとても書き切れるものではありません。まとめられたら別に記事を設けようかと思いますが、まぁ無理でしょう。夢の話とかしたいですけど。とにかく桜のための映画でした。

 

慎二のアイデンティティクライシス

ワカメ乙。ついに原作CGを完全再現して逝ってしまいました。何気に生存ルートが一つしかない哀しい運命。


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HFでは慎二も前面に出てきますが、それが災いして「自身が魔術師(=間桐の後継者)でないこと」のコンプレックスが一層痛ましく突き刺さります。

セイバールートやUBWでは曲がりなりにも桜の代わりにマスターとなった事で自身への期待を意識できたこと、従えているサーヴァントがそれなりの活躍あるいは実力を持っていたことなどで表面上のマウントが取れていた(本人は道化的なポジションに気付いていない)のですが、今回は士郎が自分より強力なサーヴァントを得た魔術師である事が早期に発覚した上、桜の覚醒で間桐における自身の価値が希薄化したことでプライドがズタズタ。中盤までは桜以上に情緒が怪しくなっています。

 

よりによって桜が「間桐の魔術は奪うばかりで還元されない」という言った直後に発された、「お前が盗ったんだぞ衛宮ぁーッ!」の叫びたるや……。

 

今回の劇場版では慎二のコンプレックスを刺激する描写(自身が欲するものを全て持っているように見える士郎、周囲が桜に注目して蚊帳の外であること)が強調される一方、彼の妬みがどういった境遇に起因するかは最後まで明示されませんでした。実際、俯瞰すれば同情に値する話ではあるのですが、桜にとってみればひたすら酷い奴でしかないのもあり仕方のない部分でしょう。監督曰く、「慎二への感情を観客に押し付けたくなかった」との事。

最後の涙は、もはや義妹を穢す形でしか士郎の目を自身に向けさせる事が出来ない恥辱や彼なりの慙愧の現れではないかな、と個人的に。


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アクション

なんといっても一番はセイバーオルタvsバーサーカー。分かっていたことながら、いつでも聖剣ぶっぱできる王は強い。案の定、劇場から出た直後は「なんでオルタ星四(FGOのレアリティ)なの?絶対星六くらいあったわ」という言葉があちこちから聞こえてきました。さもありなん。

 

さて。この戦闘はオルタ側が出力に制限のないリミッター解除状態であったのに対して、バーサーカーは呪層界のデバフと純英霊に対するメタフィールドという最悪の立地ハンデがありました。強すぎるせいとはいえ、喚ばれる度に聖杯の泥が待ち構えているヘラクレスくんカワイソス。

しかしギリシア最強の英雄は止まることを知らず、オルタ相手に猛攻を仕掛けます。狂化しているにもかかわらず鉄なり瓦礫の山を力いっぱいに投げつけ、接地しない空中から有利を取りに行くなど……先のUBWにおけるギルガメッシュ戦といい、英雄としての圧倒的な格を見せつけてくれますね。英雄へのアンチテーゼが色濃い本作においては一際映えるところでしょう。

最終的には、オルタがバーサーカーのボディブローに対してまさかのカウンターアッパーをキメて決着。パンフレット曰くこのカウンターは、バーサーカーが負ける理由が思いつかなかったので一章でセイバーが受けた攻撃を反転してもなお覚えていたから」とのこと。意外と根に持つタイプだった。

 

 

以下は私的に気になった細かいところなど。

 

アーチャー

今回のルートではいぶし銀的なカッコよさ。正規の英霊でないがゆえにバーサーカーやランサー以上に戦えるという皮肉な役回りです。士郎にアドバイスしつつ、紅茶を入れるのは嫌がったり。今後の伏線としてしっかりローアイアスを張っていくノルマを達成しつつ、惜しまれながら退場。凛をいとおしげに撫でる場面は分かっていても泣いてしまいました……。

イリヤ

いもうt……おねいちゃん。今回は士郎との関係性やアインツベルンのマスター、本来の小聖杯として桜の動向を見守るなど何気に多面性がある立場。衛宮邸に来てからはほとんど表情を変えずに士郎と桜をじっと見ています。あと、雨のシーンでは彼女だけまったく濡れていなかったり。 

言峰&金髪の青年

かたやヒーラー、かたやついに誰にも知られないまま脱落。言峰に関してはよく見てないとまだギリギリいい奴に見えるかも。今のところあまりに回復ばかりやるので、左腕移植の場面までやってたら完全に「教会に行くと回復してくれるRPGの司祭」の役が板についていた事でしょう。セーブポイントか。

私的には桜の治療に魔術刻印を躊躇いなくつぎ込んだという、切嗣が畏怖した執着のなさと自己犠牲を顧みない士郎との鏡合わせを思わせる演出が高得点でした。まぁ単に余った令呪を突っ込んだだけかもしれませんが。桜の処分を決めた凛に対しては、愉悦スマイルを忘れない。

 

この二人のシーンで印象的だったのは、自身の懊悩に答えを出せる存在としてマキリの杯を渇望する言峰に対し、ギルガメッシュがどこか冷めた表情だったこと。悪巧みには基本ノリノリで乗っかるSN版英雄王としては珍しく、よほど桜が不憫に見えたのだろうか。そうであれば細かいフォローアップだなぁ……と感心しました。

まぁそういう思わせぶりな登場とは裏腹に、哀しいまでにほぼ原作通りな最期を迎えましたが。断末魔がカットされていたのがせめてもの救いか。(最期のセリフはレアルタ版とは違って驚愕ではなく惚悦、感嘆のニュアンス)

マキリ陣営

セイバーオルタはまさかのセリフひと言。一応、原作では鶴翼三連を披露するデッドエンドの都合か、士郎への未練を垣間見せるセリフがありました。

アサシンは「ギ?」とか不気味さを保ちつつまた面を割られるなど。最期は桜にも割られていたのでこれが原作通りになると都合三回も割られる羽目に。初代様ははやくクビ(物理)にすべき。あとガンド避ける時にザイードをリスペクトしててわらった。ハサンはダンスやってるからな。

藤村先生

日常の象徴。流石におとなしめですが、話が話なのでもはや来てくれるだけで並みならぬ安心感があります。晩年近くまでイリヤを連れ戻しに何度もドイツに行っていた切嗣に同行しようと、パスポートを取っていたことが判明。しょんぼりした弟子ゼロ号ことポニテ大河が信じられないくらい可愛かったです。でもそれ以上は泣いちゃうから、そこまでにしておけよ藤村……。

 

あと個人的には、凛の感情を押し殺したような表情が大好物でした。続く?

デレマス6thナゴヤドーム初日のお話

フォロワーの厚意でTHE IDOLM@STER CINDERELLA GIRLS 6thLIVE MERRY-GO-ROUNDOME!!!」ナゴヤドーム1日目に参戦しました。アイマス系では初めての現場です。(冗談半分でチケットをたかってみたところ、連番を快諾してくれました。この場を借りてお礼申し上げます)

 

idolmaster.jp

 

シンデレラガールズとの付き合いは長く浅くで、オマケに担当(鷺沢文香)の不参加もほぼ確定していたため、事前のモチベーションはそれほど高くはありませんでした。その意識の低さたるや、あわよくば「ガールズ・イン・ザ・フロンティア」だけ回収できればいいかなー、とタカをくくっていたくらいですが、結果は予想以上の収穫でした。つまりアイマス最高。

 

・キャストが豪華

出演アイドルは総勢30名。デレマス全体を俯瞰してると数的感覚がだんだんと麻痺してきますが、実際目の当たりにすると圧巻の一言。少子化が著しい昨今、小学校なら余裕で一クラス埋まります。それも人数ばかりでなく、錚々たる顔ぶれ。アイマス級のハコでないとたちどころに予算が干上がることでしょう。5万人ものキャパを臆せず自分色に染め上げる千川ちひろさんと特別協賛のサイゲームスには畏怖の念すら覚えます。

 

・強気のセトリ

初日ということもあってセットリストの予想はかなり控えめに見積もってました。

……が、いい意味で予想を裏切られました。特にガルフロ以降のセトリがクレイジークレイジー途中休憩を一切挟まない非人道的ストロングスタイルなので、中盤がしめやか系で固める采配にも頷けるというもの。おかげで腕とUOが無限に折れる。折れた。 

 

以下、楽曲のハイライト的雑感。ちなみに、MCパートで印象的だったのはちゃんみおバースデーとソロ曲からずっと食べてる大坪由佳さんです。

 

・お散歩カメラ

藍子さんのソロ曲。二曲目だと侮っていたら、最終的に開幕の「イリュージョニスタ!」の記憶にモヤがかかる勢いで可愛かったです。SSR引いててよかった(無限にMV再生しながら)

・Sunshine See May

山紫水明。私的に鈴木みのりさんの歌唱だけでも元を取ったとさえ言えるレベル。最近は藤原肇さんも気になっていたので一石二鳥でした。なんでイベント走らなかったの私。

あと、何気に今までよしのんの声が解釈違い*1だったのですが、歌って踊ってるのを見たらよしのんでした。ソロ曲もMCも可愛かったし、ちょっとしたパラダイムシフト発生。

・Naked Romance

津田ネキの疲れ果てた心身にも優しく澄み渡る歌声すき。そんなにスキスキ言われたらジャガーマンシリーズになってしまうよ。あー ここすき 美穂すき もちろん卯月もすき(ピキーンッ

……わかるマーーーーーーーーン!!!!!!!

・Last Kiss

個人的には鈴木みのりさんと並び、注目株だった原田彩楓さんのソロ。とにかく声が澄んでます。サイリウムも綺麗な色合いで会場中にマイナスイオンが満ちた瞬間でした。減点の余地があるとすれば、連番がこの日一番うるさかった事くらいなものでしょう。

・君への詩

総選挙上位の曲。現在、デレステの方でイベント開催中なのでぜひ聴いてください。安部菜々さんのソロパートがあまりにもエモすぎて泣いちゃった……。
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・さよならアンドロメダ

大和不在&長尺(6分半以上)ゆえに回収不能と思っていたらまさかの。なんとなく冬っぽいイメージだったんですけど、あらためて歌詞を確認したらちゃんと「夏の終わり」って言ってましたね。今回、私の席はこれ以上後ろがない背水の陣みたいな席でしたが、この曲はプラネタリウムめいた照明演出が壮観でむしろ得した気分になりました。

 

☆ガールズ・イン・ザ・フロンティア

大本命。オリジンの凛、美玲、こっひーoutに消沈したのも束の間、まさかの担当(神谷奈緒)センターに自分の目と正気を疑いました。ラストサビの「拓け」が「拓けぇぇぇっ!!」みたいな勢いになってるのがもうめちゃくちゃに奈緒。ついでに周りのメンバーもガチ。ハイスコア編成か??

余談ですが何故かMCパートではなく、MC明けに「しんどい、疲れた」と言ってねぐらに戻っていった連番がイントロから3秒以内に跳ね起きました。

 

ここからは息つく間もなくノンストップ。

ガルフロで凛が抜けてるなと思ったらまさかの新ソロ「AnemoneStar」。

「Love∞Destiny」 ……。
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早苗さん新ソロ→ゆっこソロ→世直しギルティのメダルコンボ。手加減なしか

毒茸伝説。マッシュ……ギブアーーーーーーップ!!!!!!(ついに体力とサイリウムの電池が尽きる)

 

・Trust me

なんとか毒茸を乗り切り、「ガルフロやってくれた分、こっちは流石に2日目に回すよね……」

とノンキしてたら、ガルフロに引き続き平成ライダーの冬映画みたいなレジェンド級オリジナルメンバー投下。ねぇ、もうコレ大盤振る舞いってレベルじゃなくないです????逆に2日目なにやるの??????

カメラで抜かれるままゆ(≠牧野由依)がキレッキレ。そしてシリアスな安部菜々さんの新境地。 

・Trinity Field

トライアドォォォォォォッ説明不要!!

陣形はもちろん、MVの正三角形を照明で再現していたのが芸コマ。

この曲でUO折るやつセンスないでしょ、と思っていたら、それまでサイリウム代わりに腕を振り回してオーケストラの指揮者みたいになってた連番がなけなしのUOを折ってました。

 

トドメにアンコールの「GOIN’!!!!」にダメ押しの「お願い!シンデレラ」で1日目は〆。言うまでもなく大満足でした。

強いて言えばラブデスを至近で見られなかったのが心残りですが、アリーナから直視していたら確実に燃え尽きていたのでちょうどよかったかな?

 

西村京先生、対戦ありがとうございました!(また誘ってくださいの意)

*1:実装直前に「名塚佳織」という偽情報をリークされたのが尾を引く形。疑えよ

レヴュースタァライトはおまえを真の男に再生産する

よくきたな。おれはトロンべの人だ。毎日相当な量のテキストを書いているが、誰にも読ませるつもりはない。しかし今回はベイブでありながら真の男でもある舞台少女を描いた作品「少女☆歌劇 レヴュースタァライト」の輝きに目を焼かれて塔から落ちたため、予後のリハビリをかねてブロッゴを投稿することにした。おれはメキシコに吹くねつ風(サンタナ)の紫外線をあまくみていたことをおもい知らされ、おまえもこれからおもい知ることになる・・・・・・

 

revuestarlight.com

 

見てないやつは腰抜け

毎日スマッホを片手に、メキシコの荒野をわたるおまえの目には、無数のサボテンとツイッターアーのディプスレイにうかぶ「真矢クロ」とゆう文字列がうつっていたはずだ。にもかかわらず、おまえとゆうやつは「しょせんベイブ同士のしみったれたルチャ・リブレだ」などと舐めてかかり、いまも行きつけのバーで冷えたコロナをあおりながら、スマッホ・ゲームの箱開けに血道をあげているしまつだ。(じつはおまえの勘は半分は当たっている。なぜならクロこと西條クロディーヌを演じる相羽あいなはクリストをとくいとする高潔なるルチャドーラだからだ)

これはもう完全な腰抜けであり、どうしようもない。実際おれが照明するまでもなく、このブロゴにたどり着くまでにうかつなおまえは、そこがブチョの経営する酒場であることも知らず、気が付けばシャンパン・シャワー代わりの鉛弾を全身に浴びてカロリーナと出あうことさえなく、むしの息という有様だ。このままほおっておけば、明け方には上等な野良犬のえさができあがることだろう。しかしおまえはまだ息があり、あまつさえスマッホを親の形見のようににぎっている。「死ななきゃ安い」とはアントニオ・バンデラスのめい言だ。つまり今からでもスタァライトすればおまえはかろうじて致命傷をま脱がれることになり・・・・・・結果よみがえる。そして真の男の中の真の男になる。いまが洗濯のときだ。Do It Yourself.

 

真の男のレヴュー

おれはまず腰をすえて「少女☆歌劇 レヴュースタァライト」とはなんなのかを最低限せつめいしておくべきだと思った。レヴュースタァライトは端的にいって舞台、ミュージカルだ。これを聞いた時点で、むだにけつき盛んなおまえは「エッ!レビュー・スタアライトはアニメじゃなくて舞台!?タカラヅカはとおくて行けない!」などと喚いては、たまたま通りがかったMexicanマフィアの不興をかって砂地に埋められ、春にはりっぱに芽吹く。麻薬戦争におけるぎせい者の政府発表は1000の位まで切り捨てであることをおれは知っている。こういう時に真の男は動じない。そしてためらわずにやるべきことをやる。たとえば、ブルーレーイーディースクで舞台版を見たり、ナチョにサルサをともしながらアニメ版を見たりとかだ。

少女☆歌劇 レヴュースタァライト」はたしかに舞台発のメディーアーミクッスだが、メディーアーミクッスだ。ようするに、舞台がすべてではない。現におまえが目にした真矢クロはたいていの場合、アニメイシヨンのなんかだったはずだ。おれ自身も真の男と仰いでやまないフォローウアーの啓示を受け、Animeからすべてを学んでいった。話の大筋は舞台少女と呼ばれる9人のホットなベイブがトップスタァ(すなわちバンデラスだ)の座をかけて競い合うとゆうモノだ。この根幹はメーディアーが変わってもきほん的に変わらない。だからここから先はとくに断りのないかぎり、アニメ版の話を主ににしていくことになる。もちろんあえて舞台から入門するのもありだ。それが出来るおまえはもう心の中にコナンを宿している。

 

舞台少女はバンデラスだ

まず、けつろんから言って舞台少女とはおのおのがホットなベイブであると同時に真の男・・・つまりはバンデラスだ。一見らりったようなことを言っているように聞こえるかもしれないが、おれは誓ってノー・ドラッグだ。そもそもメキシコのレヴューには三種類のにんげんしかいない。あほ、こしぬけ、真の男だ。だからベイブであることと真の男であることはかならずしも矛盾しない。ミラ・ジョヴォヴィッチをみて腰抜けなどと抜かすあほはいないのとおなじ理屈だ。そこをはき違えるとおまえはコロナよりも冷えた体で地面に横たわることになる。

とにもかくにも、おまえは第1話をめの当たりにする。Aパートで8人(途中で1人ふえる)が舞台の主役を意味する「トップスタァ」をめざして切磋琢磨するようすをドリトスを頬張りながら、或いはスマッホ・ゲームを周回しながらながめるのだ。そしておもう・・・「なんだ、ゼンゼン普通じゃん」と。おまえはそうやっていつもきめつけで1話切りとかをして、ろくにみてもいないのにツイッターアーにクリエイターのわるくちとかを書いて悦に浸り、半年くらい後にこうかいする。いまもそうだ。この時点でおまえは百個くらい間違いを犯している。もんだいなのはBパート以降だ。

 

Bパートからは重度のドラッグ野郎が突如としてキネマシトラスに乱入、血走った目で制作進行にショットガンを突きつけ、ありもしない誇大メキシコ妄想を映像化したかのようなすごい視覚表現がれんぱつする。きわめてアバンギャルドだ。だがそれはコークによって生じたサイケデリックななんかではなく、「少女革命ウテナ」や「輪るピングドラム」などでつちかわれたイクニイズムを継承した合理的精神に基づく、100パーセントまじめな描写だ。しかしいまは理解しなくてもいい。それは、おまえが頭のう指数のたりないあほだからとゆう事ではなく、単にこの時点で「わかります」などと言えるのは、あのキリンだけだからだ。だが、もし仮におまえが「デスペラード」をあらかじめ見ていたのなら、わかることが一つだけある・・・・・・戦わなければ生き残れない。レヴューはメキシコだということだ。

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この先の展開について、おれはあえて多くを語らない。1話目の質量を乗り越えたおまえはすでにスタァライトされ、限りなく真の男に再生産されたといえるからだ。2話目以降は若干マイルドになったイクニイズムを随所に織り交ぜながらも次第に話がわかるようになり、ドリトスをつまむ暇はなくとも舞台を彩るレヴュー楽曲に耳を傾ける余裕がうまれる。そうして驚嘆と興ふんに充ちたおまえの体感時間はついにスマッホ・ゲームの周回速度や光ファイーバーのなんかを超え、8話が終わる頃には「ばなナイス・・・」と呻くばかりになる。いわいる真矢クロ回は第10話でのことだが、そこに至るまでのレヴューでおまえは、数多くの涙とドリトスをまきちらすことになるだろう。

この頃にもなると時折、おまえのタイムラインに現れるじゃあくな魔法つかいが「仮面ライダー龍騎」や「HiGH&LOW」などの名作を過剰に持ち上げてくることもあるだろうが、それはあくまでも類似した要素、エッセンスーンーのはなしに過ぎない。なにを見出すのかはおまえ次第だ。ただ、おまえの見たモノが後人生におけるおまえ自身のキラめきとなることをおれはあらかじめ断っておく。

 

スタァライトし、そしてスタァライトせよ

ここからは肝心の視聴メソッドについての話だ。おまえは今日までまんまとタルサ・トゥームの罠にはまり、予測変換のせいですっかりあほになってしまった。そうしていまや流行りにのることをぬるくなったコロナ以上に嫌っているおまえにとって酷な話だが、メキシコにおいて乗り遅れるとゆうことは致命的なことだ。じじつ、常に笑顔を謳うニコニコ動画でさえ、最新話の配信から三日もたてばなに食わぬ顔をしてトークンを要求してくる。ここでかんじんなのは、笑顔になるのはおまえではなくドワンゴのヤツらだとゆうことだ。

せっかくスタームルガーをぶらさげた重い腰を上げてけんさくしても全話有料・・・カネを払う必要に迫られたとき、コロナとナチョスを買うだけの日銭しかもたないおまえはすぐさま取り乱し、やけになって酒やベイブに逃避する。そしてあたたかな家庭をきずき、老人となり、子や孫にかこまれ・・・・・・やがて死ぬ。腰抜けは一生シュワルツェネッガーにはなれないのか?その答えは絶対にノンノンだ。「少女☆歌劇 レヴュースタァライト」とはつまりはそういう話であり、だからこそおれはとり急ぎこのブロッゴをエントリーすることにした。

おまえはようやく、マクイルショチトルの加護にめぐまれたことを知る。さいわいにもYouTubeスタァライトチャンネルでは、27日までフリーで「少女☆歌劇 レヴュースタァライト」を全話みることができるからだ。この権利はなにものにもおびやかされることはない・・・・・・たとえ国連がおまえ個人に追加の経済制裁を決議したとしてもだ。

ここでも妙に疑りぶかいおまえは、いったいブシロードはなにをかんがえているのか?Bru-LAYの売り上げがほしくないのか?或いはトランプの報復関税をおそれているのでは?などと訝しむかもしれない。違う。ここで注目すべきなのは、配信は最終回の直前までということだ。つまりこれを見逃すとおまえは任意の動画配信サービスにトークンを連続投入することでしか追いつくすべはなくなる。これはいわば、こしぬけに対する最後通牒だ。真の男になれ。

本当はそれぞれの舞台少女の魅力や見どころといった具体的なことまで伝えたかったが、あいにくとおれはおまえのママではない。なにより無料こうかいの機嫌が差し迫っている。100分は一見にしかずだ。残り48時間もあれば単純けいさんでだいたい10回くらいはスタァライトできるかもしれないが、おまえがレジーハモンドでもなければジャック・バウアーでないことなどひゃくも承知だ。しかし同時におまえが腰抜けでないこともまたわかっているつもりだ。

 

(追記:おれがここまで薦めたにもかかわらず、おまえは色々とりゆうを付けて後回しにしたまま、ついに全話視聴の機会を半永久的にうしなった。こうしておまえの平成さいごの夏は、最高のAnime体験を経ずに終わっていったかにおもわれた・・・・・・。だが、その機会はふたたび訪れた。予期せぬ幸運だ。10月29日から11月11日まで、貴方筒スタァライトチャンネルでの全話こう開が決定されたのだ。ブシロードはほんとうにあほになってしまったのか?今度こそ真の男になれ。)

 

舞台少女の輝きに魅せられたおまえは、自分の中にあるキラめきを見出す。そしてその輝きはいつか誰かのキラめきになるだろう。おれもおまえもひとしく舞台創造科であり、メキシコというレヴューに立つ未完成のバンデラスなのだ。おれからいえることはひとつ・・・・・・舞台で待ってる。

 

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