吐露んべ。

とあるオタクの雑記帳(スクラップ)

おれはゴジラ キング・オブ・モンスターズをみた(逆噴射模倣)

よくきたな。おれはトロンべの人だ。おれは毎日すごい量のテキストを書いているが、だれにも読ませる気はない。しかし今回ついにMEXICOにも真の男が上りくし、予断をゆるせない状況に落ちいった。ゴジラだ。KING OF MONSTER・・・すなわち男の中の男を前にいてもたってもいられなくなり、とり急ぎこの記事を書くことにした次第だ。

 

godzilla-movie.jp

 

GODZILLAがやってきた

2014年に文明国カリフォルニアを蹂躙したゴジラは、メキシコに衝撃をもたらした。それまでのハリウッド・ゴジラといえば、マリオに乗り捨ててももらい得ないような、みどりのFAKE野郎だったからだ。監督したギャレス・エドワーズはかなりのゴジラ・マニアで「Sエッフをやめてリアリティを追及する!」とかゆって、最新CGのなんかを駆使しなGら、極めてシリアスにゴジラを描いた。

だが正直ゆって、おれはギャレスの「GODZILLA」がすきではなかった。理由はかんたんで、MEXICOにきてわざわざスシを頼むあほはいないからだ。おれはハリウッドらしからずメッセージ性ばかりつよい腰抜けCG映画に機嫌を損ね、ただちに劇場を跡にした。そしてやけになり、最寄りのバーでテキーラをショットで決め、手近なベイブを抱きあたたかなベッドに包まれ・・・泣いた。

だからおれは「キング・オブ・モンスターズ」のことも腰抜け怪獣映画だと見くびっていた。そして何の用いもないままゴジラのやギドラのねつ線を浴びるほど浴び・・・・・死んだ。そして真の男になった。


ゴジラはいる

「キング・オブ・モンスターズ」は真の男のための映画だ。理由は完全にシンプルで、それは上映時間のすべてが、徹底的にゴジラがキング・オブ・モンスター(バンデラスだ)であることに傾けられた神話だからだ。そこにはリアリティT・V・プログラムやポリテカリー全方向配慮などのしゃらくさいものは何もない。おまえの皿にはただ、血の滴るようなTボーンだけがある。

映画が始まるとすぐに画面の8割くらいが怪獣に埋め尽くされ、常にばくはつで揺れ続ける。さらに下腹にまで響くような音響によって、その場にいないはずのおまえ自身も揺れ続けることになる。これはたとえ手元のコロナが吹きこぼれたとしても止まることはない。

これがどうゆう事を意味するかといえば、ゴジラがFAKEではないR・E・A・L・の存在であることを端的にあらわしている。エンドクレジットには“Godzilla:Himself“と書いてあったので、少なくともやつが本当にMEXICOに上陸していたじじつが確かめられている。この圧倒的な真実の前に、おまえが出来ることはなにもない。ただ2時間半もの間怪獣たちのルチャを震えながら、あるいはドリトスを摘まみながら観戦するのみだ。


f:id:trombedgg:20190601185321j:image

 

見渡すかぎりの怪獣とばく発のショックでパニックしたおまえは、ひそかに持ち込んだアルパカワインで口を湿らせながら、やがてヒューマンドラマの中に、整合せいとかの既存の常しきを見出そうとする。こまかな設定のあやを突いては、「ゴジラもニンジャもいない!すべて政府のいうとおりだ!」などと上映中に喚き、やはり後ろの座席にいたトレホにナイフを投げられ映画より先に人生の幕を閉じる。

だがそうやって逃れようとすればするほど、怪獣が現実にせまっていることを知る。なぜなら主要キャラクターたちはほぼ須らく怪獣を半神的存在だと信ぽうしていて、実際画面いっぱいのゴジラキングギドララドンの野郎はタルサトゥームだ)の圧倒的な迫力といったものが裏付けとなり、お前を打ち据えるからだ。うらなり野郎は死に、生き残ったおまえも失禁を堪えながら「ゴジラ・・・ソイヤ・・・・・!」と呻くばかりになる。


世界はこの後どうなってしまうのか? おそらくは一度、END OF MEXICOを向かえただろうことは想像にかたくない。しかし、神話はつねに破壊の後に創造があるとゆうことを物語っている。事実「デスペラード」ではバンデラスが凶弾にたおれたが、その後よみがえった。この作品でゴジラは画面を通じ、おまえの中にいる腰抜け(たとえば常識といったもの)を完全に破壊するだろう。そうなったとき、ゴジラは真の神となり・・・・・・おまえは真の男に生まれ変わる。


f:id:trombedgg:20190601190045j:image