吐露んべ。

とあるオタクの雑記帳(スクラップ)

なんのためにこの文章を書いているのか、書いてる今はわからない。

きっと書き終えた後にもわからないであろうし、書いたことすら後悔するのだろう。

ただ、これを書いている間は、少し頭が冷える。

それだけは事実で、要するにそれだけの事だと思う。

 

 

 

恋人が他界してから、満4年が経った。

親友として、或いは姉として、心から尊敬し、俺の人生を少なからず豊かにしてくれた最良の人だった。それを「恋人」としてしか表現できないのは我ながら遺憾に思う。

彼女と知り合ったのは2011年の事だったから、そこから10年以上経過していることになる。

この4年間は、喪失感とも無力感とも罪悪感とも、それらが綯い交ぜになったような、いまの自分に考えられる中で最大の苦痛を、これまでの幸福に対する報復のように自嘲しながら、時にそれを誤魔化しながら、漫然と、本当に毎日を棄てるように過ごしてきた。

彼女のいない世界はなんとも甲斐がなく、未だにどこか色味のない、突き詰めればどうでもいいように感じて、未だ地に足をつけられずにいる。

 

そのことを後悔していながら、しかし彼女を恨んではいないし、この苦しみに、堪えかねてなお忘れたいとは思わない。

本当は誰かと分かち合うことなどしたくない、誰にわかってもらうつもりもなかったはずだが、なんの因果かこんなとりとめのない駄文を書き連ねて、自らの弱みを白日のもとに晒そうとしている。

 

ひとつは、隠し続けることに疲弊と逼塞を覚えたからか。

このことを、今までほとんど誰にも語ったことがない。

向こうのご家族に止められていたから、という事が一番大きい。

ただ、それを抜きで言えば、いまや付き合いの長いフォロワーの方が多いが、それでも所詮はインターネットの温い連帯でこそ培われてきた仲なので、誰にどう言えばいいのか、皆目見当もつかないしそういう余裕もなかったからだ。

共通の知人であったり、当時、信頼していた何人かには、なんとか最低限DMで連絡したものの、それでも裏切られたような心ない返事に打ちひしがれる事もあったから、尚のことだった。

この期に及んで、他人を信頼して話すことより弱みを握らせる事への猜疑心を選び続けたことが、或いは自分の器の小ささをかえって浮き彫りにしたのかもしれない。

 

さらにひとつは、このことに言及したとして、それで自分が何を得たいのか、自分自身いまもわかっていないからだ。

この悲しみを、今さら誰と分かち合うつもりもなく、中途半端な慰みの言葉など送られようものなら、それが善意であれ、怒りを抑えられる自信が今ひとつない。

思索を文字に起こすこと自体は主治医の指示ではあるものの、この上、内向きに言葉を紡ぐことなど、自縄自縛の呪いをさらに強めるだけであるとわかるから、無理にでも外に出すしかないのであるが……。

 

 

別段、俺以外の読み手が、この文章から俺の感情を読み取る必要はない。

ただ、俺と彼女を知る人たちの中で、今までなにも説明してこなかった不義理だけは、ここに詫びておく。